大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(う)520号 判決

被告人 小吉こと、平川宮子

〔抄 録〕

記録を精査して被告人の犯情について考えてみるに、被告人の所為は生後僅か二日目の嬰児を産院内の母親の許より連れ去つたという類例を聞かないといつていいくらいの犯行であつて犯行後直ちに元に戻す機会及びその後警察に自首して出る機会があつたのにこれをしなかつたことは、犯行後の混乱した精神状態にあつた被告人の行為として一概にこれを責めることは酷であるとしても、嬰児の自由と安全とを脅かし一歩を誤れば嬰児の人生を一変させたかも知れない危険な行為であり、吾が子出生の喜びに浸つていた両親を不安のどん底につき落して重大な精神的苦痛を与え、全国の子を持つ親に対しても限りのない不安と衝動を与えたものであることは、原判決の特に指摘するとおりであつて、動機、結果の如何を問わず、激しく非難せられるべき行為である。特に被告人の場合は、その場におけるとつさの決意によつて実行したことは原判示のとおりであるが、原判決も認めるとおり、養子トーマスのため及び当時内縁の夫であつた平川亮一との関係において貰い子その他の方法により何とかして生れたばかりの嬰児を手に入れたいという被告人の予てからの願望がその下地となつているのであつて、所論のように無目的の行為であるとは到底認め難く、被告人が当日携帯した嬰児用毛布につき被告人は母親に対し貰い子をして来ると告げて外出するので母親に対する手前からそれを携帯して外出したに過ぎないと弁解するが、犯行当日二度共右嬰児用毛布を携帯して外出している事実に徴し、もとよりこれによつてその決意を固めていたということはできないが、嬰児をいわば略取しようとの考が時として脳裏を去来することもあつたのではないかと疑う余地がないでもないから、以上の諸点を総合すれば原審が被告人を敢えて懲役一年六月の実刑に処したことは、まことに無理からぬ量刑であると認められるのである。

しかし、本件が被告人の犯行であることは既に早くから捜査当局に判明して居り逮捕は時間の問題であるという状況になつていて逮捕されたからではあるが、本件の嬰児が被告人及び被告人に同行していた被告人の母親により思いやりのある取扱いを受け、とにも角にも無事両親の手許に返されたことは喜ぶべきことであつて、その両親の安堵したことはいうまでもなく、世間一般に対しても安堵と明るさを与えたことは顕著な事実であつて、これについては被告人が右嬰児を例えば深夜路傍に放置するような暴挙に出ることもなく慎重に監護したことが与つて力があつたと認められるのであつて、この点は斟酌に値いすることである。また、当審において取り調べた佐藤恵哲作成名義の上申書並びに当審証人佐藤恵哲、同佐藤千秋及び同平川亮一の各供述を総合すれば、被告人及び平川亮一の積極的な努力と嬰児の両親である佐藤恵哲及び同千秋夫妻の寛容の精神とによつて齎された結果ではあるが、原判決後に生じた事情の変化として、被告人一家が佐藤家を訪問したことが数回、佐藤一家が被告人家の招きを受けて略取された嬰児をも同伴して被告人宅を訪問したことも一回あり、お互いに家族全部の交際をして右嬰児の順調な成長を喜び合うまでになつているという実情であつて、佐藤家としては、本件が世間一般に大きな衝動を与えた事件であることを考慮して、積極的にではないが、嬰児の順調な成長に対する満足感と被告人個人に対する親近感とによつて、被告人に対しては必ずしも実刑処分を望むものではなくむしろ寛大な処分を望む意向を有していることを認めることができるのであつて本件が親告罪であることに鑑み、この事実はまた、被告人のために斟酌さるべき事情である。その他、被告人は証拠によつて明らかなとおり感情の勝つた女性であつて理性的に行動する人柄ではないが従来その経歴、私行において特に社会的非難を受けるような点もなく、本件についても、最後の段階に至るまでに種々の思慮を重ねた経緯があり、その中には少なからず自己本位的な傾向として批判を受くべき点もあるが、自分の腹を痛めた子供を持つことの希望を喪つた女性の心理として、また特に平川亮一に対する手前をとりつくらわんとして思い迷つた心情は、全然同情に値いしないものということもできないし、現在においては改悛の情が顕著であつて、当審において取り調べた戸籍謄本及び当審証人平川亮一の供述によつて明らかなとおり、被告人及び平川亮一が本件を契機として理解を深め、原判決後の昭和三十七年五月二十三日正式に婚姻をし、今後家庭人として平穏な生活を送ることが期待できる環境になつており、この点については当然のこと乍ら相当の教養があり弁護士を職業とする夫平川亮一の行き届いた指導が期待できるものであることも認めることができる。以上の各事情を考え合わせると、原審の懲役一年六月の刑は相当であるが、相当期間右刑の執行を猶予して将来に過誤のないことを期することが最も適当であると認められるので、原判決の量刑は相当でないことに帰し、本件控訴は結局理由がある。

(久永 上野 今村)

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